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大阪高等裁判所 昭和40年(ラ)7号 決定

抗告人 飯森保(仮名)

相手方 飯村ハル(仮名) 外三名

主文

原審判をつぎのとおり変更する。

被相続人飯森恭二郎(本籍滋賀県長浜市○町○○番地)の遺産をつぎのとおり分割する。

別紙第一目録記載の物件は抗告人の、同第二目録記載の物件は相手方飯森ハルの、それぞれ所有とする。

抗告人は相手方飯森ハルに対し金四九万八、六〇〇円を、相手方山口礼子に対し金三八万五、七〇〇円を、相手方岡田義子、同山崎邦子に対し各金一九万二、九〇〇円を、それぞれ支払え。

理由

被相続人飯森恭二郎(明治二三年三月一四日生)は、昭和三七年九月二〇日死亡し、その遺産は、妻である相手方飯森ハルが三分の一、嫡出子である抗告人および相手方山口礼子が各九分の二、非嫡出子である相手方岡田義子および同山崎邦子が各九分の一の割合で相続したものであること、遺産としては別紙第一目録記載の不動産および第二目録記載の動産があること、被相続人は相続人である抗告人および相手方らに対し格別生前贈与をしたこともなく、遺言もないこと、以上の各事実は原審判の認定したとおりである。

抗告人は原審判が遺産分割として、右不動産を相手方ハルに取得させたのは不当であると主張するので、まずこの点について判断するに、本件記録によるとつぎのような各事実を認めることができる。別紙第一目録記載の土地(以下本件土地という)は、被相続人の先代が明治一七年頃購入し、その頃地上に別紙第一目録記載の建物(以下本件建物という)を建てたものであること、被相続人は亡妻かねとの間に抗告人(大正五年二月一二日生)および相手方礼子(大正一四年五月一六日生)を、同人の死後内妻亡吉田きよとの間に相手方義子(昭和六年三月二三日生)および同邦子(昭和八年五月二三日生)を得たものであるが、昭和三、四年頃まで本件家屋に居住して教員をし、その後小学校長として○○村、○○町等に転じ、昭和一五年退職後は生前ずっと本件家屋に居住し、財団法人○○共済会に勤務していたこと、相手方ハル(明治三九年六月一日生)は昭和一一年一一月一二日被相続人と結婚(同一三年一二月五日婚姻届出)以来被相続人と同居し、被相続人の死後も引続き本件家屋に居住し、年間約六万円の恩給等によって生計を維持しており、他に資産もないこと、相手方山口礼子、同岡田義子および同山崎邦子は被相続人の生前いずれも他に結婚し、それぞれ肩書住所地での生活を営んでいること、抗告人は昭和一〇年県立○○農業学校を卒業後直ちに海兵団に入団して兵曹長に進み、昭和二一年復員後は郷里に帰り、現在は○○町○○○にある○○化成株式会社関西支社総務部長として月収五万円を得ている外、軍人恩給年額約二万五、〇〇〇円の支給を受けていること、その家族は妻と一男一女であって、長女は○○バスに勤めて会社の寮におり、長男は○○高校に在学中であること、抗告人は復員後一時本件家屋に居住していたことがあり、引続き居住することを希望していたが、相手方ハルととかく不仲であったため、「自分の生存中は別居してくれ」という被相続人の希望でまもなく本件家屋を出て○○町に転居し、被相続人死亡の頃には○○石灰株式会社の○○○にある社宅に居住していたこと、その頃右会社が倒産したため退職を考えていた折柄被相続人も死亡したので、その一ヶ月後の昭和三七年一〇月二一日頃、右住居を引き払い、相手方ハルの反対を押し切って家財道具を本件家屋二階に持ち込み、その後家族と共に本件家屋二階に居住し、相手方操と同居するに至ったこと、以上のとおり認めることができる。

ところで、抗告人および相手方ハルの二人が本件土地建物を取得したいと強く希望しているのであるが、本件土地家屋を両者の共有とすることは、徒らに権利関係の紛糾の原因を残すものと考えられるから適当でなく、さりとて、本件土地建物を分離して各別に帰属させることの好ましくないことも同断である。また本件建物を二つに区分して区分所有権を認め(これに応じその敷地を分割所有させ)ることも適当でない。けだし調停等により、本件家屋に間仕切りその他必要な改造工事を加えた上でならばともかく、現状のままで区分所有権を設定することは本件建物の構造上から考えても不当だからである。

そこで本件土地建物は、これを両名いずれに取得させるべきかについて考察するに、相手方ハルが昭和一五年以来二五年以上にもわたって被相続人とともに本件家屋に居住してきたものであって、他に転居先もないことを考えると、本件土地建物を相手方ハルに取得させた原審判の結論も全く理解できないわけではない。しかしながら右のような事情はハルが本件土地建物の所有権まで取得しなければならない決定的理由といい難いし、そのうえ本件土地建物の所有権を取得するには、後述のように、他の相続人らに対し合計金一〇〇万円を超える債務を負担しなければならないのに、相手方ハルには容易にその負担に堪える準備があると認められない。一方抗告人は、大正五年本件建物で出生し、小学校五年生までの幼年期、少年期を本件建物で過ごし、本件家屋に愛着を感ずることにおいて相手方ハルに劣らないものがあること、一時海軍生活のため、遠隔地にあることを余儀なくされたが、復員後は郷里での生活を計画し、被相続人の生前同人の希望で別居するときも、将来時期が来れば本件物建に帰復居住し、そこで生活することを期待していたものである。抗告人が右のような愛着の期待のゆえに本件土地建物に対する希求度の強烈なことも極めて当然なことといわなければならない。しかも抗告人としては、本件土地建物を取得するため他の相続人らに対し負担すべき債務についても、その履行が可能であると認められること、以上の諸点を考えると、本件土地建物ばむしろ抗告人に取得させ、本件動産は相手方ハルに取得させ、抗告人には遺産分割の方法として他の相続人らに対し相当な債務を負担させることが妥当である。

右のとおりであって、本件抗告はこの点において理由があるから、家事審判規則第一九条第二項を適用して原審判を取り消して当裁判所自ら審判に代る裁判をする。

そこで右抗告人の負担すべき債務の額について検討するに、本件不動産の評価額は金一六五万五、七五〇円、本件動産の評価額は金八万円と認められるから、遺産の総額は一七三万五、七五〇円である。これを相続人らの前記相続分の割合をもって配分すると、相手方ハルは金五七万八、六〇〇円、抗告人および相手方山口礼子は各金三八万五、七〇〇円、相手方岡田義子および同山崎邦子は各金一九万二、九〇〇円をそれぞれ取得し得ることになるが、相手方ハルは本件動産により金八万円相当を取得しているので、抗告人は同人に対しては右当該算出金額からこれを控除した右残額金四九万八、六〇〇円を、相手方礼子、同義子および同邦子には、それぞれの右算出金員を支払うべきものである。

以上のとおり、本件土地建物は抗告人に取得させることにするが、前記認定のとおり相手方ハルはすでに昭和一五年以来本件建物に居住していること、その他本件における諸般の事情からみて、同人に対し本件建物の明渡しを命ずることは適当でないといわなければならない。したがって相手方ハルが望むならば、本件建物の一階居室には相手方ハルが、二階居室には抗告人らが、現状のとおり同居することになる。もっとも相手方ハルと抗告人およびその家族との間は従来からとかく不仲であったし、昭和三七年本件家屋に同居後も両者は融和するところがないのであって、相手方ハルは抗告人らとの同居を一日も早く終らせたいと切望しているようにうかがわれる。そうだとすると、本件土地建物が抗告人の所有となり、しかも抗告人らが本件建物に同居している以上、相手方ハルとしては他に転居するかも知れない。このように相手方ハルが自らの意思と都合で、本件建物から退去するならば別問題であるが、そうでない限り抗告人は、相手方ハルに過去を回想しつつ送る孤独の余生に安住を与えるために、本審判を契機として、すみやかに、親族の情誼にもとらない、本件建物の使用貸借関係を設定し、現状の改善に努力を傾注するべきであることは、本件諸般の事情と本審判の結果に照らしまさに当然の事理であることに深く思いをいたすべきである。なお抗告人は、仏擅も抗告人の取得とするよう求めているが、右は祭祀用の財産であって、遺産分割とは別にその帰属を定めるべきであるから、本件ではその承継について判断しない。

よって原審判を以上のとおり変更することとし、主文のとおり決定する。

(裁判長判事 平峯隆 判事 中島一郎 判事 阪井いく朗)

(別紙目録省略)

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